探し物を減らす仕組みを数か月かけて作っていた。その仕組みを作っている自分たちの資料が、散らばっていた。

笑い話に聞こえるかもしれません。でも本当の問題はそこではなく、それを聞いた私が「わかりました」と言って次の議題に移ったことの方にありました。

何が起きたかを、先に3行で

1. 私たちは数か月かけて、ある点検業務の「探す時間」を減らす仕事を進め、課題の上位に「置き場所が散っていること」を置いた
2. 同じ会議の後半で、メンバーが自分たちの資料について「やや分散しています」と報告した
3. 私は「わかりました」と言って、次の議題に移った

登場人物は3組だけ

図版
  • 私 — 部門のマネージャー。この改善の仕事を見ている
  • メンバー — 私と一緒に改善を進めている人。実際に資料を作っている
  • 現場の担当者 — ある点検業務を実際にやっている人たち。私たちが話を聞きに行った相手

私とメンバーが「改善する側」、現場の担当者が「改善される側」です。本文の「私たち」は、常に前者の二人を指します。この線が、実は引けていなかったという話です。

事実だけなら、たったこれだけです。なぜこれが引っかかっているのかを、順に書きます。

場面1:数か月かけて、探す時間を数えた

ある点検業務の進め方を見直す仕事を、メンバーと数か月続けていた。「もっと効率を」という漠然とした題ではなく、手作業の確認が多い仕事で、人が増やせないという前提があった。

やったのは地味なことだ。現場の担当者に順番に話を聞き、作業を工程に分解し、図に起こした。

そのうえで課題を並べ、優先順位をつけた。上位に来たのはこの三つだった。

  • 置き場所が散っている
  • ファイルが多すぎて目当てのものに行き着けない
  • 記録を取り出すだけで時間が溶ける

次の段階として、どこに何があるかを尋ねれば答えが返る窓口を作り始めた。八つ作る予定で、いくつかは遅れている。仕上がったものから共有の置き場に収め、まず一部の部署に使ってもらう。そこまでを決めた。

場面2:会議の後半で、報告のなかに「やや」が出た

同じ会議の後半だった。メンバーの説明が、進み具合から自分たちの資料の置き場所に移った。

一部は別の環境でも作業していて、やや分散しています。

作っている資料は、基本的に一か所に集めてある。ただ、作業の都合で別の環境にも置いたものがある。それが「やや分散」の中身だった。

そして私は、「わかりました」と言った。持ち帰りにしたのは、他部署への実演の段取りと、相談を受ける窓口を作ることの二件だけだった。

私が引っかかったのは、同じ日のうちに起きていた

会議の前半で、私たちは置き場所の分散を課題一覧の上位に置いていた。後半で、自分たちが同じことをしていると聞かされた。

もうひとつ。同じ日、権限の調整が要る場所がいくつかある、という報告も出ていた。二つを並べると、権限が下りるのを待つより先に手を動かした、と読める。

責める気にはならない。私が同じ立場でもそうする。引っかかったのは、メンバーのやり方ではない。自分たちが作った課題一覧の一行目に、自分たちが載っていたことだ。

課題として整理できるのは、いつも向こう側にある

話を聞く側は、聞く相手の作業を工程に分解する。分解される側に、自分は回らない。

これは怠慢の話ではない。分散は理由があって起きる。

  • 申請が通らない
  • 期限が動かない
  • 途中から関わる相手が増える

ひとつずつ見れば、どれも妥当な判断だ。そして、その妥当な判断の集合が、課題一覧の一行になる。私たちが名指した課題は、私たち自身がいま置かれている条件でもあった。

外から見れば、探し物を減らす仕組みを作っている集団が、自分の作ったものを探しにくい場所に置いている。皮肉なのではなく、これが分散の発生現場だ。

背景:社内の決まりは「最終的に一か所」としか言っていない

置き場所について、決まりがないわけではない。成果物は所定の場所に集約する。それだけだ。

読み返すと、この決まりは完成品の話しかしていない。作りかけをどこに置くかは書かれていない。

そして分散は、完成してから起きるのではない。作りかけの段階でしか起きない。

私の解釈はこうだ。置き場を決めるより先に作業が始まるから散る。順番の問題であって、意識の問題ではない。

ただし、「必ず一か所」も基準にはならない

留保を書く。この解釈にも穴がある。

置き場を先に決めきろうとすれば、権限が下りるまで手が止まる。速さを取れば散り、揃えようとすれば止まる。どちらも損だ。

だから「必ず一か所」は基準にならない。散らさないことではなく、散ったことを記録に残すことを基準にするしかない。

私の落ち度は、「わかりました」と言って次に進んだことだ

報告を聞いたとき、指摘もしなかったし、記録にも残さなかった。

つまり私は、他人の分散は課題として扱い、自分たちの分散は状況として扱った。同じ会議の中で、同じ現象に別の名前をつけた。

課題一覧を作った人間ほど、自分がその一覧に載るとは思っていない。私がそうだった。

私が決めたのは、3つ

1. 課題一覧に「これは自分たちにも当てはまるか」の列を足す。
○か×だけでいい。列があれば、少なくとも一度は自分に向けて読むことになる。
2. 何かを作り始めるとき、置き場所と権限を先に一行で決めて記録に残す。
決めきれないなら「未定」と書く。未定と書いてあれば、あとから探せる。書かなければ、散ったこと自体が残らない。
3. 進捗報告の「やや」「一部」「おおむね」を、そのまま通さない。
どこに、いくつあるのか。この三語は、聞き返されないと具体に戻らない。

おわりに

自分たちで作った課題一覧に、自分たちが載っていない。これは点検の仕事に限った話ではないと思う。

改善を仕事にすると、改善の対象は自分の外側にあるという前提が、いつのまにか固定される。中間管理職は、その前提を疑える位置にいる。現場の作業も、自分のチームの作業も、両方が視界に入っているからだ。

明日ひとつだけやるなら、これを勧めたい。自分が作った課題一覧を開いて、上から三行を自分の仕事に当ててみること。当てはまる行が、たぶん一行はある。


このシリーズでは、中間管理職として実際にやってしまった判断を、そのときどう間違えたかまで含めて書いています。同じ立場で似た場面に出くわす方に届けば幸いです。

※ 実際の業務経験をもとに書いていますが、当事者が特定されないよう内容を変更し、脚色しています。