自動車系のSIer(システムの受託開発をする会社)で中間管理職をしています。開発の請負と準委任が中心で、客先の製品開発に入って仕事をする部門です。

画面の共有を切らないまま、私は一枚のスライドを出しっぱなしにしていた。数か月前に作られ、真ん中に大きく「協力してください」と書かれた一枚だ。作ったのは私ではない。

その日、私が欲しかったのは、現場をまとめるリーダーの「やります」という一言だった。すでに資料を作ってきた人を、これ以上止まったままにしたくなかった。

「一旦、そこは信じてください」

言い終えると、音が半拍遅れて返ってきた。

「信頼なんかないですよ」

イヤホンの中で、その声だけが妙に近かった。カメラは全員が切れている。見えているのは、私が出しっぱなしにした「協力してください」の一枚だけだった。

この場で、信頼を求める前に私は何を出すべきだったのか。

目次

第1部 場面 — 信じてくださいと言うまで

1. 登場人物は3人だけ
2. 誰にも頼まれずに作られた一枚
3. 順番が逆だ、と言われた午前
4. 信頼が止まった3秒
5. 途中から入った担当が見たもの

第2部 考察 — 信頼より先に出すもの

6. ここで、別の一手もできた
7. 型の名前は「根拠より先の信頼」
8. ただし、不信を聞くだけでは進まない
9. 私が信じていた前提

第3部 打ち手 — 次に同じ場面が来たら

10. 私が決めたのは、3つだけ
11. その後
12. おわりに

第1部 場面 — 信じてくださいと言うまで

登場人物は3人だけ

  • 私(部門のマネージャー。チームをまたぐ改善を進める側)。守りたいもの=現場をまとめるリーダーを、一人で抱え込ませないこと
  • 現場をまとめるリーダー(客先に出るチームの取りまとめ役。数か月前から改善の旗を振ってきた)。守りたいもの=現場で板挟みにならず、改善が実行に移ること
  • 引き継ぐ担当(改善活動を次に受け持つ人。この日の打ち合わせには途中から入った)。守りたいもの=比べる元を作り、改善を始められること

私はリーダーより一段上にいる。現場の人に直接お願いできるのはリーダーで、そのリーダーも隣のチームには直接言えない。この距離が、この話の出発点になる。

この仕事は、客先に納めるシステムを作り、動かし続けるものだ。似た作業を、複数のチームが別々のやり方で進めている。何が起きたかを、先に置く。

1. 客先の仕事の進め方を図にし、重なった無駄を直す話が数か月前からあった。
2. リーダーが旗を振っていたが、社内は動かないまま、翌年度の予算を決める時期が近づいた。
3. 私が「信じてください」と言い、リーダーが「信頼なんかないですよ」と答えた。その日は何も決まらなかった。

事実だけなら、これだけだ。なぜこの言葉が場を止めたのかを、順に書く。

誰にも頼まれずに作られた一枚

数か月前の夕方、空調が止まったあとの耳が詰まるほど静かなフロアで、リーダーがノートパソコンを開いたまま私の机まで来た。

私は、場をすぐに作ると言い切れなかった。現場を不安なままにしたくない。それだけを先に考え、場を作る判断を後ろに回した。

中央には「協力してください」とあり、その下には、いつまでに何を集めるかの日程が引かれていた。誰にも頼まれずに、リーダーが作ったものだった。

「これ、どこかで話す場をもらえませんか」

私は画面をのぞき込み、「いいと思う」と答えた。実際、よくできていた。

場を作るのは私の役だったが、その週も次の週も、私は場を作らなかった。資料は増えた一方で、話す場はないままだった。

順番が逆だ、と言われた午前

数か月後の午前、全員が別の場所からつないだ打ち合わせだった。カメラは切られ、声だけがイヤホンに届いた。

予算を決める時期までに、全部は間に合わない。リーダーを不安なままにせず、少しずつ進めたい。私は、まず客先の困りごとを聞きに行く案を出した。

先に口を開いたのは、リーダーだった。

「半ば諦めてます」

私は、今から動いても遅いことは分かっていると返した。予算を決める時期までに全部は間に合わない。まず客先の困りごとを聞きに行くところから始めたい、と続けた。

「その進め方、順番が逆じゃないですか」とリーダーは言った。「客先から困りごとを聞いてきて、それに合わせて社内でネタを出す。前は、社内で先にネタを出して、それを持っていくという話だったはずです」

「両方いる。社内が動かないなら、外から先に入るしかない」

リーダーの順番にも理由があった。私は外から進める案を出し、リーダーは社内で先に用意する案を出した。

声だけの会議で、二つの順番がぶつかった。

信頼が止まった3秒

同じ午前の通話は続いていた。共有画面にはあの一枚が残り、誰かが紙を触る音だけが、ときどき混じった。

私は、リーダーが背負ってきたものをその場ですべて聞くより、今から動かす約束を先に置くべきだと考えた。過去を開けば、この日も答えを出さずに帰すことになる。だから、私が動かすと言い切ることにした。

「動かないのは、今に始まった話じゃないですよ」

リーダーは、管理職が替わるたびに同じ話をし、そのまま放置されてきたと続けた。今になって、客先の困りごとを聞いてこいと言われている、と。

「代々と言われると耳が痛い。ただ、こちら側も少しずつ変わろうとしている。方向は合っているはずだから、そこは割り切ってほしい」

「フローを作りました、で終わるんですよ」とリーダーは言った。「理想は合ってるんです。合ってるけど、そのあとで板挟みになるのはこっちなんで」

「やらせます。人を入れて、何としてでもやってもらう」

自分がいつ、何をするかは言わなかった。「上とも話す」とだけ言った。

「その『やらせます』が、この数年ずっと出てるんです」

私は返す言葉を探し、「一旦、そこは信じてください」と言った。

リーダーは、こう返した。

信頼がないのに信じろって、それは無理でしょう。

三秒か四秒、誰も話さなかった。画面に残ったのは、「協力してください」の一枚だけだった。

途中から入った担当が見たもの

打ち合わせの終わり際、前の打ち合わせが延びていたらしい引き継ぐ担当が、少し息を上げて通話に入ってきた。

私は、リーダーとのやり取りをそのまま渡すべきか迷った。短くまとめれば、リーダーが話した不信の積み重ねをこぼしてしまう。そこで、進め方を図に起こせるかだけを聞くことにした。

「今、どこまでの話になってますか」

私は要約しなかった。代わりに、進め方を図に起こすところまではできそうかと聞いた。

「図は起こせます」と担当は答えた。「ただ、そこから改善が出てくるかは、正直わからないです。そもそも、比べる元になるものが社内にないので」

その通りだった。私たちは、自分たちのやり方を一度も並べて見たことがない。

通話を切ると、共有を止めた画面にあの一枚が数秒だけ残った。次に渡すものは、まだ決まっていなかった。

第2部 考察 — 信頼より先に出すもの

ここで、別の一手もできた

「代々放置されてきた」と言われたとき、別の一手を取れた。誰に何を出し、どこで止まったのかを、一件ずつ聞くことだ。所要は十分もかからない。

あなたなら、その日の合意を先に取りに行くだろうか。それとも、止まった記録を先に開くだろうか。

私は後者に進まなかった。目の前のリーダーをこれ以上待たせないために、今日から動く約束を急いだ。過去を一つずつ開けば、答えを出さずに帰すことになる。私は、その判断を保留するドライさを持てなかった。

次の打ち合わせの日程だけが、先に決まっていた。止まった理由を聞く時間は、いつでも取れるように見える。だから、取られないままになる。

型の名前は「根拠より先の信頼」

私にとって「信じてください」は、すぐに結果を渡せないリーダーに、動く意思だけは返すための言葉だった。

受け取る側には、根拠を出せないことを、こちらが自分から認めた合図に見える。信頼を求める言葉は、根拠を出せないときにしか出てこない。 根拠を出せるなら、人はそちらを先に出す。

私はこの現象を、「根拠より先の信頼」と呼ぶことにした。作られた一枚、配られなかった日程、同じ言い方で終わった以前の何回か。リーダーの側には、こちらが渡してきた記録が積み上がっていた。

ただし、不信を聞くだけでは進まない

同じ話が何度も流れれば、次も流れると受け取るのは自然だ。リーダーが持っていたのは、配られなかった資料と、実行されなかった話の記録だった。

ただし、その判断を正しいと認めるだけでは、改善は進まない。信じてもらう前に、出せるものを先に出す。出せないなら、出せる時期を言う。それも言えないなら、その日は決めない。

私はそのどれもせずに、「信じてください」を先に言った。

私が信じていた前提

私の落ち度は、リーダーに動いてもらおうとしたことではない。一人で抱え込ませずに済むよう、私は進め方を示そうとしていた。

私が信じていた前提は、これだった。私が先に「やらせます」と安心を渡せば、リーダーを不安なまま帰らせずに済み、改善を動かす協力を得られる。

「上とも話す」とだけ言って、自分が誰に、何を頼み、いつ返すのかを示さなかった。数か月前に場を作らなかった私には、「誰が、いつまでに、何をするか」を言える根拠がなかった。

それでも、安心を先に渡そうとした。根拠より先の信頼は、相手を思う気持ちだけでは支えきれない。

第3部 打ち手 — 次に同じ場面が来たら

私が決めたのは、3つだけ

1. 「信じてください」の代わりに、期限を出す。
何がまだ無いのかと、いつまでに出すのかを先に言う。
・効く条件:自分の裁量で動かせる範囲が残っているとき。
・効かない条件:期限を他部署が握っているとき。その場合は、誰に頼むかと、いつ返事が来るかまで伝える。

2. 止まった経緯を、一件ずつ聞く時間を別に取る。
「代々放置された」を一件ずつに分け、結論を出す場とは別に聞く。
・効く条件:過去の当事者がまだ社内にいるとき。
・効かない条件:担当が全員入れ替わっているとき。残った資料を並べ、無いものは無いと言う。

3. 相手に頼む前に、自分が引き受ける一手を見える場所に書く。
今回なら、あの一枚を配る場を作ることが、私の一手だった。
・効く条件:自分の側に未着手が残っているとき。
・効かない条件:相手がすでに動いていて、こちらの遅れが理由になっていないとき。

この順番を外すと、相手は「やりません」とは言わない。返事をしなくなる。

その後

その日の打ち合わせでは、何も決まらなかった。

おわりに

進め方の対立に見えて、実際は根拠を出す順番の話だった。先に出すべきものを、私は相手の協力より後ろに置いた。

あの一枚は、いまも共有フォルダのどこかにある。誰にも頼まれずに作られ、一度も配られていない。相手が信じられないと言うとき、その人の手元には、返事を待っているものが残っている。

明日ひとつだけやるなら、「信じてほしい」と言いたくなる相手が過去に出してきたものを探し、信頼の話より先に返事をする。


このシリーズでは、中間管理職として実際にやってしまった判断を、そのときどう間違えたかまで含めて書いています。同じ立場で似た場面に出くわす方に届けば幸いです。

※ 実際の業務経験をもとに書いていますが、当事者が特定されないよう内容を変更し、脚色しています。