自動車系のSIer(システムの受託開発をする会社)で中間管理職をしています。開発の請負と準委任が中心で、客先の製品開発に入って仕事をする部門です。
朝一の打ち合わせだった。画面の向こうに管理職が二人、こちらに私。三人で、一人の配属を決める三十分だ。
手元には、その一人、私の部下とのチャットの履歴が開いたままだった。数か月前の一行に、目が留まる。
「これはAIエンジニアになるために必要な要素なので、僕は頑張ります」
前の案件に入れたとき、本人がくれた言葉だ。この一行を、今日また使うつもりでいた。本人が前を向いて次の案件に入れるように。
本人が一番やりたいはずの案件の話を、私はまだしていない。この場で決まる配属を、何と言って伝えるのか。そして、本人に選ばせるのか。
目次
第1部 場面 — 一人の配属を決める三十分
1. 登場人物は四人、うち一人はこの場にいない
2. 二つの案件と、一つの希望
3. 「本人に選ばせた方がいい」と、同僚は言った
4. 私が組み立てた、伝え方
第2部 考察 — なぜ選択肢を見せなかったのか
5. ここで、別の決め方もできた
6. 同じ言葉が、向こうでは何に聞こえるか
7. なぜ管理職は、判断を包みたがるのか
8. ただし、選ばせればよいわけでもない
9. 私が信じていた前提
第3部 打ち手 — 次に同じ場面が来たら
10. 私が決めたのは、三つだけ
11. その後
12. おわりに
第1部 場面 — 一人の配属を決める三十分
登場人物は四人、うち一人はこの場にいない
- 私(本人の上司。本人を次にどの案件へ入れるかを決める側)。守りたいもの=本人が失望せず、次の案件へ前を向いて入れること
- 本人(不在)(うちの正社員のエンジニア。前の案件を終えて、次を待っている)。守りたいもの=AIのモデルを作る側に回ること。そのために要素技術を積むこと
- 受け入れ側のリーダー(客先の開発基盤(開発に使う環境や仕組み)を整える案件を回す同僚)。守りたいもの=客先が望む「正社員で固めた体制」と、前任者のときに崩れたチームの立て直し
- 同僚のマネージャー(別の案件群を見ている同僚。この日は相談役)。守りたいもの=決め方の筋。本人が自分で選んだと言えること
私とリーダーと同僚は同じ部門の管理職で、上下はない。本人は私の部下で、この打ち合わせを知らない。ほかに受け入れ側の技術の責任者と、本人と仲のいい協力会社の人が名前だけ出る。
二つとも、客先の開発に入る案件だ。何が起きたかを先に書く。
1. 本人の次の案件を、管理職三人で決めた。候補は二つ。客先の開発基盤を整える案件(受け入れ側は正社員を望む)と、AIを使う案件(本人の希望に近い)
2. 私は本人に、AIを使う案件があることをまだ伝えていなかった
3. 同僚が「本人に選んでもらった方がいい」と言い、私はそれを取らず、開発基盤の案件に決めた。伝え方は本人の言葉を借りることにした。翌朝、私から本人に話す
なぜ選ばせなかったのか、何を守っていたのかを順に書く。
二つの案件と、一つの希望
朝の九時。私は自席で、リーダーと同僚は別々の場所から画面でつながっていた。本人の次の配属を月内に決めるための場だ。
リーダーは、この日を待っていた。前任者が抜けた穴を、正社員で埋めたい。
「本人に来てもらえるなら、嬉しいですけどね。客先が協力会社を嫌がっていて、正社員で固めたいという事情があるので」
ここまでは、段取りどおりだった。次の一言が、段取りに無かった。
「あとは、本人の意向はAIなんですよね。そこをどう、うちの案件で拾ってあげるか。何かやらせてあげられることがあると嬉しいんですけど」
私は言い直した。本人はAIを使いたいのではなく、モデルを作る側に回りたい。
「それは、開発基盤の案件とは関係ないですね」とリーダーは言った。
「そうなんですよ」
私は本人の力量を並べた。ウェブもクラウドも触れ、資料も自分で書く。
それから、言わなくてもよかったことを言った。
「本人にはまだ、AIの案件の話はしていないんです。期待を持たせてしまって、渡せなかったら、と思って」
渡せるか分からないものを見せて、期待だけ持たせたくなかった。本人がAIを選べば、月内に正社員を、という受け入れ側の望みには応えられない。渡せなかったとき、傷つくのは本人だ。画面の二人は聞き流した。
「本人に選ばせた方がいい」と、同僚は言った
同じ画面、九時十五分。話は「どちらにするか」に移っていた。
私は、自分から結論を言えずにいた。事業の都合で決めれば、開発基盤の案件だ。分かっていて、言えなかった。本人が望む方は違うと、私が一番よく知っていたからだ。
先に口を開いたのはリーダーだった。
「客先の中で、手順の決まった開発をやる経験は、正社員のうちにしておいてもらった方がいい。個人的にはうちの案件かなと思っているんですけど。皆さん、いかがですか」
そこで同僚が言った。
「僕が決める話でもない気がするんですけど。個人的には、どっちも紹介して、身につけてほしいのは開発基盤側のスキルだということも一緒に伝えて、本人にどちらがいいか選んでもらった方がいいかなと思いました」
一瞬、誰も何も言わなかった。私はチャットの履歴から目を上げた。両方を見せれば、本人はAIを選ぶ。選んだ方を渡せなかったとき、本人はどうなるのか。それが怖くて、私は乗れなかった。
リーダーが引き取った。
「AIの案件も、初めのうちは高度なことはやらないんですよ。それより、開発基盤の環境をしっかり理解して、『これ、AI使えるじゃん』と本人が提案して、それが案件につながる方が、全体として良いと思いました」
私は、それに乗った。
「じゃあ、一旦それでいきましょうか」
決めるのは上司の私で、これで決まった。同僚の「分かりました」を最後に、選ばせる案は出てから一分で消えた。消したのは私だ。
私が組み立てた、伝え方
九時二十五分。決まったあとは、画面越しの空気が緩んでいた。
あとは本人にどう伝えるか。ここは用意してあった。
「本人は、AIを開発するにはセキュリティもクラウドも画面まわりも要る、と理解しているんです。開発基盤の案件は『AIエンジニアになるための要素技術をここで培う』という位置づけにできれば、喜んでやってくれると思います。前の案件のときも、この技術がまだ必要だから頑張ります、と言っていたので」
「そういう組み立てなら、全然いけると思います」とリーダーは言った。
リーダーは、受け入れ側の事情を足した。前任者のときは一人に開発からテストまでを任せて、助ける人がおらず、前任者が責められた。今は仕様を決める人が要件を具体的にしてから渡す。
「余力が出るなら、AIの案件にも絡んでもらえばいいと思います」と私は言った。「本人と仲のいい協力会社の人が、そっちに入る予定なので。あの二人は、いつも組んで動いているので」
「いいと思います」とリーダーは言った。
AIの案件のことは、翌朝この形で本人に言うつもりでいた。選ぶものとしてではなく、余力で絡むものとして。
最後に、受け入れ側が本人へ案件を説明する場の話になった。技術の質問がズバズバ来るから技術の責任者も呼ぶ、とリーダーは言った。
「僕は、必ずしも出なくていいと思うので」と私は言った。「お二人の日程で、本人に入ってもらった方がいいと思います」
お二人とは、リーダーと技術の責任者だ。案件の中身は受け入れ側が話す方が正確で、配属の話は翌朝に私がする。そう分けていた。
「了解です」
「明日の朝、すぐ本人に話します」
画面を閉じた。チャットの履歴は開いたままで、数か月前の一行がそこにあった。
第2部 考察 — なぜ選択肢を見せなかったのか
ここで、別の決め方もできた
「候補は二つある。受け入れ側が望むのはこちらで、身につけてほしいのもこちらのスキルだ。そのうえで、どちらがいいか本人に聞く」。同僚の案は、それだけだ。
あなたなら、本人が確実に選ぶと分かっている選択肢を、見せるだろうか。
見せなかった理由は三つある。本人は確実にAIの案件を選ぶ。AIの案件は始まったばかりで、高度なことはまだない。受け入れ側は月内に正社員が要る。三つとも本当だ。ただ、いちばん大きいのは四つ目だ。渡せないものを見せて、期待だけ持たせたくなかった。 本人を思ってのことだ。ただそれは、事業の判断を本人に言わずに済ませる理由にはならない。私は、言わずに済む包み方を用意した。
同じ言葉が、向こうでは何に聞こえるか
私から見れば、本人の言葉を借りた位置づけは丁寧な伝え方だ。本人の目標の途中にこの案件を置く。私は本気でそう思っていた。
本人の側から見ると、こうだ。一番やりたい案件が同じ部門にあるのに、それは選ぶものとしてではなく、余力で絡むものとして知らされる。数か月前の自分の言葉が、自分を説得するために使われている。
ここに名前を付けるなら、包んだ決定だ。事業の判断を、本人の目標の言葉で包んで渡す。包んだ側は本人のためのつもりでいる。開けた側に見えるのは、中に事業の判断があったことと、上司がそれを事業の判断として言わなかったことだ。今回、包みは必ず開く。AIの案件は同じ部門にあり、本人と仲のいい人が入る。
なぜ管理職は、判断を包みたがるのか
配属は、たいてい本人のいない部屋で決まる。受け入れ側の事情、客先の意向、いつまでに誰が要るか。本人の希望は、その一つだ。
管理職が持つのは「決まったこと」と「本人が望んでいたこと」の差だ。差をそのまま渡せば、本人は失望する。私は、失望させない渡し方を探していた。本人のためだったと今も思う。ただ、管理職には、失望させると分かっていて事業の判断を渡す場面がある。私はその場面を、包み方で無くそうとした。
私には、包む材料があった。本人の言葉だ。本人の目標をよく知る上司ほど包み方がうまく、本人を思う上司ほど、事業の判断を言わずに済ませやすい。
ただし、選ばせればよいわけでもない
決定が覆らないのに「どちらがいい」と聞くのは、選ばせるふりだ。望む方を答えても覆らないなら、聞かない方がましだ。
だから、選ばせることと見せることは分ける。覆るなら、同僚の言うとおり選ばせる。覆らないなら、二つあったことと決めた理由を見せる。私はそのどちらでもなく、包み方を先に用意した。
私が信じていた前提
落ち度は、開発基盤の案件に決めたことではない。理由は三つとも成り立つ。
落ち度は、私が「本人の目標につなげて渡せば、本人を失望させずに済み、前を向いて入ってもらえる」と信じていたことだ。チャットの履歴を開いたまま会議に入ったのも、同僚の案に乗らなかったのも、その前提の上にある。
その前提は、会議の終わりに崩れていた。技術の質問がズバズバ来る、とリーダーが言った。質問に耐えるのは中身だけで、包んだ言葉は耐えない。翌朝、本人が最初に聞くのは技術ではなく「なぜこの案件なのか」だ。それに事業の判断として答える言葉を、私は用意していなかった。用意したのは包み方だけだ。
第3部 打ち手 — 次に同じ場面が来たら
私が決めたのは、三つだけ
1. 選ばなかった選択肢は、決めた理由と一緒に本人に見せる。
選ばせるのではなく、見せる。「もう一つあった。こちらにした理由はこれだ」を、ほかから聞く前に言う。
・効く条件:決定が覆らないと、自分が言い切れるとき。
・効かない条件:選択肢がまだ生きていて、本人が選べば覆るとき(見せるだけでなく、選ばせる)。
2. 事業の判断は、事業の判断として先に言う。本人の目標につなげる話は、そのあとにする。
逆にすると、本人の言葉が説得の道具になる。使うなら「前はこう言っていたが、今も同じか」と聞く形にする。
・効く条件:本人の目標が変わっていない確信が無いとき。ほぼ毎回、無い。
・効かない条件:本人が自分からその言葉を持ち出したとき。
3. 決める場では、事業の都合を自分の口で先に言う。
本人を一番知っている人間が言わないと、本人に理由を言える人がいなくなる。
・効く条件:自分に決定権があるとき。
・効かない条件:決定権がほかにあるとき(理由を聞き取って、自分の言葉で言えるまで持ち帰る)。
やらなければ、本人は包みの中身を別の人から聞く。失いかねないのは、案件ではなく上司への信用だ。本人を思ってしたことが、その信用を削る。
その後
翌朝に私から本人へ話す、と決めて会議は終わった。案件の説明には、リーダーと技術の責任者が出る。翌朝、私が何と言い、本人がどう受け止めたかは、記録の外だ。
おわりに
配属を決める会議に見えて、実際は、事業の判断を事業の判断として言わずに済む包み方を用意する会議だった。
チャットの履歴は、まだ消していない。「僕は頑張ります」の一行は、前の案件に向けて本人がくれたもので、次の案件のために借りるものではなかった。
次からやることは一つだ。本人の言葉を借りて説明したくなったら、その前に、本人がまだ知らない選択肢を数える。 一つでもあれば、包み方より先に、それを見せる。同じ立場なら、試してみてほしい。
このシリーズでは、中間管理職として実際にやってしまった判断を、そのときどう間違えたかまで含めて書いています。同じ立場で似た場面に出くわす方に届けば幸いです。
※ 実際の業務経験をもとに書いていますが、当事者が特定されないよう内容を変更し、脚色しています。